迷走する普天間基地移設問題。つい先日、県民大会が行われ、沖縄に基地はいらない!と強く願い訴える9万人を超える沖縄県民が集結しました。
沖縄県宜野湾市にある米国海兵隊普天間飛行場は、太平洋戦争で沖縄が占領された直後、日本本土への攻撃拠点として米軍が建設した滑走路から生まれました。
元々のどかな農村地帯だったのですが、時が経つにつれ飛行場周辺に民家が建つようになり米兵相手の商業活動も盛んになりました。都市計画による規制もなく結果的に市街地の真ん中に滑走路が存在する形となったのです。
普天間飛行場は、米軍海兵隊第3遠征軍の一部である第36海兵航空群の基地となっています。第36海兵航空群は基本的には、輸送ヘリと空中給油機を主体とする部隊ですが、海兵隊航空部隊に所属するFA18、AV8Bなどの戦闘攻撃機も訓練や補給のため普天間飛行場に頻繁に離着陸します。そのため、周辺住民は凄まじい爆音や墜落事故の恐怖に悩まされているのです。普天間飛行場はいつしか「世界で最も危険な基地」と呼ばれる様になりました。
6年前、まだ記憶に新しい「大型輸送ヘリ沖縄国際大学構内墜落事故」。すぐ側には保育園や民家が立ち並び、一歩間違えば大惨事となるところでした。米軍が引き起こす事故や事件は後を絶たず、県民に犠牲者も出ているのです。沖縄の米軍が常に臨戦態勢である事を考えれば、運用の改善による事故防止に限界があるのは明らかです。
米国海兵隊と沖縄の因縁は古く、最初の出会いは琉球王国時代。1853年5月、日本はまだ江戸時代でした。
「黒船」と呼ばれた軍艦4隻を率いて米国から、ペリー提督が沖縄にやってきました。目的は日本本土へ向かう途中、食糧などの補給に立ち寄ったのですが、この来航は決して友好的なものではなかったそうです。
ペリーは、日本の開国実現に強硬手段も辞さない覚悟で、江戸幕府に圧力をかけるため沖縄を武力占領する意図さえあったようで、琉球王国政府に対し補給物資を求める姿勢も極めて高圧的でした。
米国は近代的軍事力を琉球政府と住民に見せつけました。その力の差に琉球政府は対抗する術はなく、ペリーの要求する物資を黙って提供するしかなかったのです。結果として武力占領は逃れたものの、沖縄と米国の関係は不幸な形で始まったと言えます。
沖縄が負った傷、沖縄が背負った犠牲を考えると、もう充分なのではないでしょうか。他県に移設して沖縄だけが救われればいいとは思いません。
また、人的被害の予防と自然保護を考えた時、「珊瑚を殺すな。綺麗な海を守れ。自然への冒涜だ。」とばかり叫んでもいられません。答えは大変難しいです。しかし、国民の生命と財産を守る為に最善の方策を考え実行するのが政権与党の責務です。
約束の期限である5月。果たして鳩山首相はどのような答えを導き出すのでしょうか。





